1971-03-13 第65回国会 参議院 予算委員会 第13号
それから低渡ヶ島が八億五千七百万ですから、佐渡ヶ島よりも少し広いという程度でございます。
それから低渡ヶ島が八億五千七百万ですから、佐渡ヶ島よりも少し広いという程度でございます。
田中政務次官は警視総監だったから知っているでしょうが、警視庁には機動隊というものがおって、われわれ労働組合のデモのときによくやってきますが、海外移住事業団にも地方行動隊ぐらいつくって、どこへでも行く、佐渡ヶ島でも、どこへでも行って御説明いたしますというようにしたらいいが、そういう機関がないわけです。各県に事業団の庶務がおり、会計がおり、所長もおるけれども、それを応援する者がいないわけですね。
ただ午前中に協会の責任者並びに天龍さん、佐渡ヶ嶽さんにも尋ねたのでありますが、そもそも国会で財団法人大日本相撲協会の今日の隆盛をきわめておる大相撲の問題が予算委員会で問題になったということは、私は予算委員会の理事なんですが、しかもわが党の辻原君が質問したので、私も相談を受け理事としてそういう質問をせしめた関係者なんですが、問題のあるのは、やはりこれが一つの財団法人であり、しかも文部省の監督、許認可事項
佐渡ヶ嶽さんの方からは、今のような形ならばむしろ株式会社の方がよいというような御意見もあったわけであります。そこで、かつて昭和二十九年十二月に各紙が報道したのですが、引拠趣味の会というのがございますね。この相撲趣味の会の方で、いっそのこと解放して出直して株式会社でやれというような申し合せというか決議をされたように新聞記事に出ておった。
だいぶ衰えたんじゃないかと思いますが、そういう指導をやっておられた佐渡ヶ嶽に伺いたい。
第九管区海上保安本部では佐渡ヶ島と内陸との間、新潟とそれから柏崎方面との間の海洋の調査を、近頃始めておられるようでありました。
今日は国際連盟時代と違つて――、あのころはまた戦車、機関銃の時代でありますから、国と国との連合というものの力は非常に弱かつたのですが、今の世界は飛行機の発達によりまして、明治の御一新のころの四国よりも小さく、佐渡ヶ島ぐらいの大きさになりました。
私ども委員らは新潟、福島両県下の賠償指定工場及び不法入国監視状況視察のため、一月十七日に東京を出発いたしまして、長岡市、新潟市、佐渡ヶ島、福島市を経て一月十九日帰京いたしました。
(第五二一号) 同(加藤充君紹介)(第五二二号) 同(松澤兼人君紹介)(第六三七号) 同一市内の市外電話地区改善に関する請願(江 崎眞澄君紹介)(第四九九号) ラジオ受信機の販売修理に関する請願(浦口鉄 男君紹介)(第六四〇号) 私設電話に関する請願(中村純一君外二名紹介 )(第六九六号) 川崎市内の電話交換方式改善に関する請願(白 井佐吉君紹介)(第八一〇号) 同月十九日 佐渡ヶ
○風間啓吉君 佐渡ヶ島は日本海の孤島で、常に本土と隔絶し、わずかに不便な海上輸送、海底電信電話機によつてのみ、辛うじてその連絡を保ち得る実情でありますが、冬季間は自然欠航と海上遮断を余儀なくせられ、また海底線中電信電話回線はいづれも老朽の極に達しまして、現に去る四月下旬には前記三線とも切断せられる等の事例さえあるのでございます。
と申しますのは、私の生國新潟県佐渡ヶ島の観光対策といたしまして、委員諸君は公私ともに御多用中のところお願いすること自体がまことに恐縮なんでありますが、いずれかの機会におきまして、委員会におかれましてひとつ佐渡ヶ島を実地に御視案を賜りまして、立体的にいろいろな角度から御検討いただきまして、國際観光地といたしまして、また内地向きの観光地といたしまして、ぜひともいろいろと御指導を賜わり、また観光地佐渡ヶ島
從いまして、両津港が佐渡における産業、経済の飛躍的発展に比例しまして、輝かしい膨張を示し、今日及んでいるのでありますが、両津港は商港で、また漁港として單に佐渡ヶ島の重要港というばかりでなく、わが國全体の産業経済上における重要港と申さねばなりません。